2016年8月10日水曜日

翻訳に対する個人的な見解

やはり、昨日の続きを書かないと気がすまないので、「英語が聞き取れるようになるとどうなるか」の続きです。

英語が聞き取れると、字幕が気になる


そうはいっても完璧に聞き取れるわけでもないのですが、映画を見てると「字幕の訳」が気になって仕方がなくなります。
「こんな訳し方する?!」とか、「うまい訳だなー」とか思うわけです。そのため、吹替えで見た方が集中できるかと思いきや、「セリフ棒読み~、合ってなくない?」とか思うので、なんだかんだ外国の映画はあまり見ないのです。
(ミュージカル映画は「音楽作品」として見てるので別です。)

外国文学も同じで、翻訳者のセンスが気になるので、読んでて「なんでこんな日本語使うんだよう!」と思うのもあれば「この訳の人センスいい~♪」と思うのもあり…。
そして思うのは「原文で読みたい。訳者のフィルターがかかっていて、本当に言いたいことが伝わってるのかわからなーい!」です。

翻訳できなくても、自分で原典にふれて、わかろうとするのって大事だなと思います。伝わってくる質が全然違ってくるのです。
それを他の翻訳者に頼ってたら、真実からずれてても気づかないかもしれませんよ。

ディズニーの吹替え、日本語訳に注目


大人になってから気づいたのですが、ディズニーの吹替えは、だいぶ簡単にしています。
特に衝撃的だったのが「美女と野獣」のテーマ曲で、ポット婦人が歌う名曲、日本語吹替えは原曲の詞がほぼ、表現されてないのです。

私は昨年の、ディズニーオンクラシックで、ステージ後ろのスクリーンに映像と字幕が出る「美女と野獣」で、「Certain as the sun Rising in the east」の部分で涙してしまいました。「この曲ってこんないい歌詞だったのか!」と思うとともに、日本語に吹替えたがためにそぎおとされていった多くの思いが、押し寄せてきたからでした。

なぜか、ディズニーオンクラシックの字幕の訳は秀逸で、その前の年のライオンキングの「サークルオブライフ」も泣くツボに入ってしまいました。
後からネットで訳を調べても、泣ける訳をしてるものは一つもありませんでした。

生演奏と一緒に見るから余計感動するのかもしれませんが、人の心を動かす訳をできるってすごいなと、つくづく思った出来事でした。

以上、「翻訳」全般に対する私の見解です。

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